中城湾港新港地区開発の歴史 

1900(明治33年) この当時より大東島への出入港として利用される。
1960(昭和35年2月) 中部市町村会、行政主席に対し「泡瀬港の浚渫整備促進」要請。
(同年9月) 中部振興会、行政主席に対し「中城湾に面した中部地区東海岸一帯の総合開発」を要請。
1970(昭和45年3月~4月) 大山朝常コザ市長、富本裕盛同議長、復帰対策で上京、総理府、大蔵、通産、自治など関係省庁に要請。その中で山中貞則総務長官、泡瀬港の建設を示す。
(同年10月) 美里村の「泡瀬港湾建設基本計画案」まとまる。
1971(昭和46年3月) 橋本運輸大臣、衆議院予算委員会において中城湾に大型港湾を建設し、沖縄開発の目玉とする国の構想発表。
(同年7月) 琉球政府が現在の港湾区域に変更し、琉球政府管理の特定港湾に指定される。
(同年9月) コザ市、具志川市、美里村、勝連町合同による、特定重要港湾建設推進協議会発足。
1972(昭和47年5月) 祖国復帰。沖縄県スタート。
復帰特別措置法に基づき、県管理の地方港湾に指定される。
(同年7月) 琉球政府、中城湾を特定港湾に指定。
(同年12月) 第1次沖縄振興開発計画で、工業港、流通港新設の検討開始。
1974(昭和49年4月) 沖縄市誕生(コザ市、美里村合併)
重要港湾に昇格指定される。
1976(昭和51年3月)
特定重要港湾建設推進協議会を発展解消し、新たに中城湾開発推進連絡協議会(沖縄市、具志川市、勝連町)結成。
1977(昭和52年5月) 県中城湾港開発準備室開設。
1978(昭和53年9月) 「中城湾港開発に対し、住民賛意を求める署名運動」36,729人の署名確保。
1979(昭和54年8月) 県企画調整部内に中城湾港開発局設置。
1980(昭和55年1月) 中城湾開発の芽出し(祝賀会)を祝う。
(同年7月) 県中城湾港開発基本計画を決定(流通加工港湾としての整備が位置づけられる)。
1981(昭和56年3月) 流通機能と生産機能を合わせ持った流通加工港湾として港湾計画に位置づけられるた。
1982(昭和57年11月) 漁業補償解決。
1983(昭和58年4月) 沖縄県中城湾港建設事務所開所。
(同年12月) 公有水面埋立免許及び承認(1次埋立分 180ha)。
1984(昭和59年2月) 着工及び記念式典。
(同年5月) 中城湾開発推進連絡協議会を中城湾港企業誘致等推進協議会へ名称変更。
1987(昭和62年2月) 海邦橋供用開始。
1988(昭和63年11月) 中城湾港開発推進協議会へ名称変更。
1989(平成1年4月) 第1次埋立一般分譲用地分譲開始(住宅・工業用地分譲開始)。
1990(平成2年8月) 港湾計画改定(埋立面積339haから393haへ変更)。
(同年10月) 株式会社トロピカルテクノセンター設立
1991(平成3年1月) 西埠頭岸壁(-5.5m)供用開始。
(同年3月) 州崎橋供用開始。
1992(平成4年8月) 公有水面埋立免許及び承認(2次埋立分 147ha)。
(同年9月)  第2次埋立着工。
1993(平成5年) 第2次埋立一般分譲用地分譲開始。
(同年12月) 西埠頭岸壁(-7.5m)供用開始。
1994(平成6年3月) 第1次埋立竣工。
(同年11月) 西埠頭岸壁(-10m)及び岸壁(-13m)供用開始。
1995(平成7年3月) 公有水面埋立免許及び承認(3次埋立分 66ha)。 
(同年4月) 拓南製鐵株式会社新港地区で操業開始。
(同年5月) 新港地区第3次埋立着工される。
(同年11月) 中城湾港港湾計画一部変更承認(沖縄市東部海浜開発計画が港湾計画に位置づけられる)。
1998(平成10年2月) 沖縄県工業技術センター新港地区に移転建設
1999(平成11年3月)
特別自由貿易地域に指定される(122ha)。
2003(平成15年4月) 国土交通省よりリサイクルポートに指定される。
(同年8月) 沖縄健康バイオテクノロジー研究開発センター設置開設。
(同年11月) 津梁橋供用開始。
2005(平成17年4月) うるま市誕生(具志川市、石川市、勝連町、与那城町合併)。
2007(平成19年11月) 新港地区特別自由貿易地域内にIT津梁パーク建設決定。
2012(平成24年4月) 新たな特区制度として国際物流拠点産業集積地域が創設される。
特別自由貿易地域は同制度に発展的に統合され、「うるま地区」となる。
2014(平成26年6月) 新港地区全域(うるま・沖縄)を国際物流拠点産業集積地域に指定。
2016(平成28年4月) 新港地区東ふ頭一部供用開始